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そもそも宗教とは何か、を自分の身体で会得した人以外は読んではいけないモノ。あと私のコレクションに欲しいのは「モルモン経」である。
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耶蘇善財キリスト信徒が深遠なる華厳経に挑む! September 12 機至れり(断食/少食)私が華厳経に対して興味を持ちはじめたのは2000年だったが、実際に調べ始めたのは2006年秋からだった。その時になって漸く機が熟したのだろう。 私がタバコを止めたのは2001年秋である。酒を止めたのは2004年秋である。酒も煙草も止めた身なら、断食は身体的には不可能ではないだろうと思う。タバコを止めた時私は「嗚呼これで俺も断食できる身体になった」と思ったのを今も記憶している。 西式健康法の流れをくむ甲田光雄医師の本は、実は何年か前に読んでいた。だが読んだ当時実家にいた私は断食なぞ実験できる立場にはなかった。 一人暮らしを始めてからは、食事は一日二回に制限していた。またタバコを止めて以来暖房なしで何年も生活してきた。つまり飢えと寒さに強い身体を作ってしまった。その歓迎すべからざる副産物として私は太りやすくなった。これが我が身体か?と驚くほど脂身がついてしまったのである。 また財政に締める食費の割合が高いことも気になっていた。何かがおかしいという漠然とした気持ちがいつもあった。 そしてここに至り、漸く断食する機が熟したのではないかと考えるようになった。具体的には断食紛いの少食と、時に短期間の本断食を交互に繰り返すのである。ともあれ少しずつ試してみよう。 ブレナンの祈り私は自己を神の意志に委ねる。 私は自己のハートと魂を神に渡す。 私は人生で最高のものを受け取るに価する。 私は人生で最高の目的のために奉仕する。 私は神の神聖な顕現である。 以上は"アファーメーション(自己肯定の言葉)"形式になっているので、実際に祈る時には「~してください」の形式になる。 April 10 聖書と、華厳経と複雑系と・・・ さて、耶蘇である私が何故に華厳経に興味を持ったのか、どこにもほとんど書いたことはなかった。
イザヤ書53章と黙示録11章1-12節及びダニエル書9章24-27節は、聖書の三本指に入る筆頭格の重要個所であり、これらは3つとも十字架を示している。喩えて言えばイザヤ書53章が静止画像なら、黙示録とダニエル書の指摘個所は動画である点のみが
違う。 さて私が重大な関心を抱くのは「十字架にかかって死に、そして復活する」という事態は、果たして本当に歴史上の特定の人物の身の上に一回だけ成立した事柄なのか?。神学専攻の人は何と答えるだろうか? それはさておき、私の見解では、ナザレの一宗教家イエスの身に一回だけ成立したこととは見なしてはいない。イエス以外の者にも成立しうるし、その者の特定の個人史の中での一回限りの出来事でもない。
これを読み解くためのキーワードは「自己相似」であるが、単純な自己相似ではない。なぜなら人間は「状況内存在」「(ヤスパース)であり、「人は同じ川を二度渡ることはない」のであり、「彼は昔の彼ならず」であり、「状況」というのは史的(histolisch)には一回きりの事柄であるからだ。
だから華厳経なのである。だから複雑系なのである。
聖書には創世記から黙示録に至るまで、生の材料しか載ってはいない。読み解く者が必要だ。その鍵がこれらの中にあるのではないだろうか、と私は予測している。
華厳経に対して「一即一切、一切即一」という認識しかないのでは、物事の仕組みを単なる自己相似と見なしていることになる。そうではないのだ。だからキチンと読みませう、ということになる。
だいたい他人様の書いた文章というのはあまり読む人本人の役には立たない。そして人生もそうではないではなかろうか?他人様の言うことを鵜呑みにして何か役に立ったことはありますか?少なくとも私の人生ではなかった。だからやはり自分で勉強しませうということになる。
もう20年ほど前になるか、「知のファッション化」が言われて久しい。だが私にとって学ぶことは格好つける為の道具ではない。自分がただ生きるために必要なものに過ぎない。 March 31 白隠禅師 坐禅和讃況んや自ら回向して 直に自証を証すれば 自証即ち無証にて すでに戯論(けろん)を離れたり 因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し 無相の相を相として 行(ゆく)も帰る余所ならず 無念の念を念として 謡ふも舞ふも法の声 三昧無礙の空ひろく 四智円明(しちえんみょう)の月さえん March 25 「内観」と「祈り」 §1 ある方が小生に「内観」を強く勧めてくださっている。 内観とは、しかるべき施設で泊まり込みで所定のカリキュラム内で、 「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑かけたこと」 を、専ら考え続けるものである。そうして自分自身の姿がよく見えるようになるというものである。 私自身は内観の経験がないので勧めることも止めることもする立場にはない。だが各種心理療法等を勉強した立場からは相応の効果を期待できるものとも思える。 だが、「内観」は、その時に一度やったことを何度も反芻しないと、その時の感動も薄れてしまうという。常に精神・心を「あの時のあの気持ち」を忘れないようにしていないと元の木阿弥になってしまうという問題がある。効果が持続するも消滅するも、これはもちろん内観を行う当人の心がけ次第であろう。克己心の強い人には向いていると思うが、正直言って怠惰な私には向かないかもしれない。 §2 対して「祈り」というのは一度やってしまったら消せない、後戻りはできないという特徴がある。例としては不適切かもしれないが、私なぞ一度ある祈りをしよ うとしたとき、その祈りには度胸と覚悟が要ることを分かっていたため、わざと酒を飲んで酔った状態で祈ったことがある。一度祈るともう引き返せないので、 あとは同じ内容の祈りを素面でできる覚悟も決まるというものである。効果をより強力にする為には、何度でも同じ内容で数ヶ月は祈り続けることである。 ちなみに試しにある祈りを記録して、半年祈っていたが、半年経過して最初書き付けた記録を読み返してみたらなんと半年後のものは文面が微妙に変化していた。だが、これはこれで良いのである。 また自身の話になるが、かつて煙草をやめようとして祈った時の文面は 「依存性薬物なくして健全な社交生活を送れるように」 というものだった。それで煙草をやめられたのは結構だが、思わぬ副産物が出た。それはその3年後に酒までやめることになってしまったことである。そんな予定は無かったのだ が、なりゆきでやめるハメになってしまった。恥ずかしい話だが、私の酒の飲み方は野卑である。少量飲んで上品にほろ酔いで済ます芸当ができない。酒に意地 汚いのである。これはとても格好の悪いものだ。だから振り返ってみると結果的にあの祈り方で良かったのだと思っている。 このように気をつけないと元の木阿弥どころかむしろ引き返したくても引き返せないのが祈りの特徴である。本稿では内観が駄目だと言いたいのではない。内観と祈りは違う特性があるといいたいだけである。 ちなみに「祈りはやったら引き返せない」のなら、そこを敢えて引き返す為には、反対の内容の祈りを2倍くらいすればよかろう。ひょっとして両者がミックスされて矛盾無く整合性の取れた仕方で、想定外の良い結果が出るかもしれない。 更に付け加えると、 「私が『してもらったこと』と、『して返したこと』と、『迷惑かけたこと』を私に思い知らせてください」と祈るのが良いと思う。 実際には三項目を細分化して、それぞれ単独の祈りにした方が効果的かと思う。 宗教教育する側の立場の者がとるべき態度 ネット上で、ある人が私を[宗教]教育しようとして、いろいろ言ってきたことがあった。だがその人は自らの位置を、私と対等な立場ではなく、常に上から下に向かっての態度を一貫してとり続けた。そしてその状態は、関係の最初から最後まで一貫して続いた。そして自己の危険負担はゼロで、自分は常に安全な物陰に潜んでいて、堂々と身を隠さないでいる私の背後からやったののである。だが、これは決定的な誤りであり、これは宗教教育の仕方を全く知らぬ者の態度である。 本来の宗教教育というのは、むしろ自分の側が(感謝ではなく)憎しみと迫害を受け、挙げ句の果てに汚名と恥辱と屈辱のうちに消され、ズタズタになるのが 正しいあり方なのである。「あなたの為」と一度言い出したら、後は自分の行き先は地獄しかないのである。これを理解できない人/したくない人は、他人に対して教育の真似事なぞする資格は全くない。 このあたりが「親が子を」とか「教師が生徒」をという場面とは異なる点である。 実際には、大人が大人を宗教教育するとき、肝腎要の場面では、もはや最後には、「上から下へ」でないどころか、「対等な立場」ですらなく、むしろ教育する側が相手の前に身を屈めるハメになるのである。これについては、私も実際に経験しており、パウロも言及しているが、なによりもイエスが実践して見せている。その故事から「聖なる奴隷」として「聖隷社」と名付けた結社すら日本には存在する。 ともあれ、私のところに入れ替わり立ち代わり偉そうに「教えに来る」人(大変多くて困っている)に対して、私は相手に対して相応の覚悟(と実力)を要求する権利がある。私が、自身でやってきたことだから・・・。 耶蘇善財への嫌みの一例 298 :小谷野敦『評論家入門 清貧でもいいから物書きになりたい人に』:2007/02/21(水) 13:20:00 「いまインターネットのホームページなるものを覗くと、まあ実に多くの人が、たくさんの本を読んではその感想文を日記のようなものに書きつけている。実のところ、レヴェルの高いものは高いが、低いものは恐ろしく低レヴェルで、読んでいて不快になることも少なくない。おそらく彼らは、自分の書いたものを人に読んでほしいのだろう。ホームページに目を止めた編集者から連絡があるのを待っているのかも知れない。それなら、私はこうした人々に、やはり活字の世界へ浮上することを勧めたいのである」(p.18) 愚弄嘲笑ネタついでに・・・。 ↑こんなコピペが私への嫌味として投稿されたことがありました。 ですが私は学術論文や発表などで書かないであろう言わないであろうことぐらいしか、ネット上には掲載しません。 あくまで私の修練と体験と思索の産物であるものを本名・実名で、学術的な"業績"として認められたいことを、HNなぞで書いてたまるか、って思いますよ。小谷氏という人が何様のつもりかは知らないが、私の仕事に対してどんなコメントをつけるか興味……ないですね。 耶蘇善財の描く「キリスト像」と、耶蘇善財の器の大きさの関係360 :名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/24(土) 18:42:49
私を見下しての、上記の投稿があった。私は特に反応することもなく黙殺した。だが、この投稿主は「自分の器のほうが耶蘇善財の器よりも大きい」と本気で思い込んでいるのである。宮本武蔵の用語で「見切り」という用語があるが、相手は私の背丈を見切るのに既に失敗している。実はこれが危ないのである。相手の背丈を実際よりも低いと思い込むことが敗北への第一歩である。だから私は内心シメシメと思っているのである。 人間生まれる時点(もっというと受胎の時点で)その人の持って生まれた固有の器の大きさというのが確かに存在するということを私は知っている。その大きさがその人の歴史と社会の中での存在感となって顕れる。更にはそれを調べる方法も世間一般に広くは知られていないが、一応存在する。 そして私のもの(の大きさ)を調べて何人かから「なんでこんなに大きいんだ?・・・・・・何者なんだ?」と首をかしげられたこともあった。 私の美意識では、「彼は一見なんでもない人に見えていたが、実は正体はトンデモナイ奴だった」という展開になるのが面白くてたまらない(いや不愉快でもある)。実際私はキリスト教世界での自分の位置(正体)を耶蘇善財その他の名では一切書いていない。故意に伏せている。私の正体を知る資格があるのは私の師事する先生だけに絞っている。 「あのモルデカイ、すなわちあなたがその人の前に破れ始めた者が、もしユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできない。必ず彼の前に破れるでしょう」。 旧約聖書「エステル記」6章13節。 March 20 「仰げば尊し 我が師の恩」 (師弟関係について)
1番は卒業生、2番は在校生、3番は卒業生・在校生ともに歌う(卒業生のみ歌う学校もある)。 仰げば尊し(あふげばたふとし)は、卒業式などで定番とされる合唱曲。 作詞、作曲者不詳のスコットランド民謡とされているが、作詞作曲ともに当時の教育者伊沢修二ではないかとの説、作詞が大槻文彦・里見義・加部厳夫合議であるという説がある。 1884年(明治17年)に小学唱歌を編集する際に、伊沢が唱歌として加えたのが唱歌としての始まりである。 しかし、その歌詞の内容が教師を崇める物として反発の対象となり、また、立身出世を呼びかけている事から社会情勢の変化に合わないとして公立学校 (特に小学校)を中心に歌われることは少なくなった。最近では、その内容の再評価という意味で、公立中学校、公立高等学校、私立の男子校を中心に、再び歌 われるようになってきている。 なお題は歴史的仮名遣いで「あふげばたふとし」であり、この通り発音すると扇(あふぎ=おおぎ)の例のように、おおげばとおとしが正しい発音に近い[要出典]のだが、現代仮名遣いによりあおげばとうとしと表記されたため、発音が表記に引きずられ(現代仮名遣いは必ずしも表音式表記ではないのにそう勘違いされたため)、誤って歌われ今にいたる。 (以上すべてWikipediaより) 話は表題通り、「(私の)師弟関係」についてである。私は小・中学校は公立だった。どちらの卒業式でもこの歌は用いられなかった。(これで私の実年齢がだいたいバレてしまう)。中三の時、クラスで一番デキる者が担任に質問した。なぜ卒業式で仰げば尊しを歌わないのか?と。担任の回答は、要するに歌わないことにしているということと、理由の説明はなかった。この回答は答えになっていないものだった。だがまぁ理由は上記に尽くされているであろう。ちなみに「別れめ」の「め」は助動詞であって、「金の切れ目が縁の切れ目」の「目」ではない。 久しぶりにたまたま思い出した私は、この歌を大変素晴らしいと思う。ただ昔父がテレビ(ドラマだったか?)のワンシーンでこの歌が流れているのを見て、つぶやいた。「どこの先生が何してくれたわけでもなく、自分の力でここまでやってきたんだよ」と。その人にはその人の個人史があるのであるから、これを「傲岸不遜である」と裁くのは倫理学的には誤りであろう。だが私にも私の個人史がある。そして次から次へと一級の人物が師として与えられてきた。全部自ら築いてきた師弟関係である。概して私の人生では、紹介された人というのは人脈として使い物になったことがない。私の人生が常に、自ら道なき道を切り開き、人脈も自ら築く必要があったのは、一種の宿命のようなものであろう。 そして私の師弟関係には常に冷酷な別れがあった。そして一人の師を失うとなぜか別の先生に師事することを得てきた。それぞれの先生方が非常に個性的な特徴をお持ちだった。どの先生方を思い出しても、「仰げば尊し~」というこの歌が良く表現してくれていると思う。それ以上の説明は蛇足とも感じる。 反面、「独学で何学を学びました」というのも私もわからなくはない。私の精神薬理学その他の知識も完全に独学である。それを否定したいわけではない。ただ単に師弟関係というものはこういうものですよ、と言いたいだけである。蛇足のような、後半の私の文章もこの歌を掲げたかったが故に書いたものである。 March 08 密教の法具と「気」の世界私が画像を掲げている弘法大師空海が手に持っているのは密教の法具の一つの金剛杵(五鈷杵)である。必要を感じてその必要を満たすことができるなら、その人がそれを使うのも良かろうとは思う。だが本当は同じことをするなら徒手空拳・素手でできるほうがより好ましいという考えを私は持っている。また九字の印その他印契は密教・修験道・道教・古神道問わずどれにも存在する。そして気功の達人なら、印を組むことによって気の流れが変わることが分かるそうである。もちろん密教の法具もそうした「気」を自在に操る為の補助具である。 だが私はこれもなるべく最もプレーンな「合掌」で行えるならそうすべきであると考え、極力(事実上全く)印契を用いないことにしている。宗教教育を行う立場としては所謂「示しが付かない」からである。だから私の祈りは常に「合掌」一本槍である。 もちろんただ合掌といっても、磨き上げれば出力は創価学会員のように強く、粒子の細かさ(単位あたりの情報封入量)は修道士のようになれるのである。また実際に両方を兼ねるところまで鍛え上げねばならない。 師弟関係について 華厳経の「入法界品」は、登場する善財童子が53人の善知識から学び取る求法物語である。 私は師弟関係というものを大学一年時より非常に重視してきた。そしてそれぞれ師事した諸先生方から学び取れるよう努めてきた。とにかく何事かを学ぶに価する方のお側に接すること、一緒の空気を吸うことが大事なのである。人と人の情報交換は文字情報による「教授法」だけでなく、釈尊が摩訶迦葉に伝えた時の「拈華微笑」の故事のように文字情報によらざる情報伝達法を「伝授法」という。人間は教授法と伝授法と両方の情報伝達手段を持っている。だから芸事の師匠の付き人になって身辺の世話をする機会に恵まれる人もそれは大変な幸運事なのである。 March 05 耶蘇善財とキリスト教神学 誤解を招かぬよう何度でも言うが、私はキリストの為に命を張る意思に変わりはない。祈りは今も毎日の習慣である。 ただキリスト教と一口に言っても、ギリシャ正教やロシア正教等の東方教会とローマカトリック教会とevangelischな"プロテスタント"諸派があり、プロテスタント神学一つとっても、聖書神学/教義学/歴史神学/牧会神学/とあり、神学専攻でもない自分には時間がいくらあっても足りんのである。 さらに言うと耶蘇善財はなまじ聖書の味を知ってしまったが故、自分の人生からは到底手放せない。つまり創世記から黙示録までの(一応)正典六十六書を手放す気もなければ、キリストから離れる意思もない。 だが私はキリスト教神学(少なくとも私の知ってるプロテスタント神学)を私はあまり信用していないのである。教義学者の文献のみならず、教理史上の人物特に教父時代あたりを既に疑っている。大変申し訳ないのだが、ひょっとして「盲人が盲人の手引きをする」ようなものかもしれないとすら思っているのである。 もちろん私はニケーア信条を全面的に認める。三位一体の神、復活等一切を認めるというか、これらこそがまさに日々のキリスト教信仰の要諦であるとすら私は考える。少なくともただ神学サイドの説明の仕方が悪いかなとは思う。 だから私は神学ではなく、他の勉強をするのである。宗教哲学・華厳経等を。仏教全般や華厳経の勉強のためなら必要とあらば、いくらでもお金を出せる。だがどうも神学の本を買うのはシンドイと感じるのである。そこに私の奥底の本音が顕れている。ただ他のキリスト信徒の方々には、私の今の水準程度に到達するまでは決して私の真似はしないで欲しいとも思う。 余談だが、街を歩くと十字架のペンダントを首から下げて歩いてる人を頻繁に見かける。だが十字架のペンダントはそもそもお守りではない。もちろん装飾品でもない。 『プラーベートライアン(ライアン二等兵)』という映画で、十字架のペンダントを首から提げている、ある腕の良いスナイパーが、銃を構えながら詩篇からの引用を(「神は我が盾、我がやぐら」等)いくつもつぶやきながら狙撃している場面が何度も登場する。彼は肝心の場面で十字架を取り出しては接吻し、狙撃に臨むのである。また大学入試で試験監督を手伝った際にも、十字架のペンダントを下げている女子受験生を見かけたことがある。これも明らかにお守りの感覚であろう。 だが十字架というのは、己が身と己れの人生の軌跡に刻むものであって、決して装飾品やお守りとして使うべきではない。少なくとも私の部屋を見れば、一体人はこの人は何教徒なんだろうかと首をかしげるかもしれないほどである。部屋にも何の絵も飾ってはおらないし、また書棚を見てもますます迷うばかりであろう。 February 19 師の衣鉢(法灯)を受け継ぐ 私の最大の得意技は「自分が師事した諸先生方の衣鉢を受け継ぐこと」である。多くの一流の先生方の老成した時期の最もおいしいところばかりを食べてきたのである。しかも善財童子の故事のように、私も一人の先生に師事し、ある程度の年数学んだ頃に、その先生を神は冷酷な仕方で私から取り上げ、そして必ず次の先生が与えられてきた。気が付いたらそうなっていただけであって、私は別に何の真似をした覚えもなければ、意図的にしたことでもない。ただ自分の事実を振り返ってみるとそうだっただけの話である。今では家族ですら「今度の先生は~」なんて言い方するほどである。いうなれば「リアル善財童子」となろうか。 当たり前だが「おいしい汁だけ吸ってハイお終い」なんてムシの良い話を神が赦すわけがない。異常に過酷な仕事や課題が私を待ち受けているであろうことは覚悟せねばならない。 ちなみに私が師事した先生方は全員学問と仁徳とを兼ね備えた方々ばかりであった。つくづく「嗚呼、俺は果報者だ」と思う次第である。だが良き師に常に恵まれる私を羨ましいという人が何人かあったが、これは私も言い返したいことがある。いったい特定の一人の先生との師弟関係を手に入れるために、私がどれだけ多くの代償を支払って生きてきたか、がその人たちには全く視野に入っていないのである。だから私は、「羨ましい」と言われる度に何とも言えぬ気持ちになる。 それから大事なことだと思うので付記するが、私が最初に死なれた恩師以降、過去に師事した先生方を想うとき、敬い、慕う気持ちはどの時点でも、当時と全く変化がないということは申し添えたい。 耶蘇善財と宗教哲学 哲学界では宗教哲学専攻の人でも「○○さんは仏教」「○○先生はキリスト教」とかいう風にカテゴライズされて見られるのが普通だ。 だが本当にそれでいいのだろうか?聖書は正典だけなら創世記から黙示録まで66書。仏教も代表的な経典なら、華厳経、法華経、涅槃経。人類の偉大な古典の原典だけなら一生かけても読めないということもなかろう。また老子/荘子、四書五経も読まずにすますわけにもいかないだろう。もちろん仏教の経/律/論と、アウグスティヌス・ルター・カルヴァン、さらに教理史から教義学へと手を広げると話は違ってくるが・・・。兼ね合いが難しいところだが、やはり華厳経と法華経は(欲を言えば涅槃経も)キチンと読みたいところである。 しかし、ここで「(東洋の漢字文化圏の)日本人に生まれた」という自分の事実をよく眺めてみよう。するとヨーロッパ人と比較して、自分が東洋の偉大な典籍に親しみやすい立場にあることに気づくであろう。そしてそのhistorischな(史的な)事実を勘案するとこの利点を生かさないことは自らに対して大損を招くことになろう。中国哲学の中心的な概念である「理」と「性」と並ぶ「気」という概念が、たとえば「気のせい」「雰囲気」等「気」という語が日常語に定着しているのは漢字文化圏ならではの利点である。それを生かさないのは勿体ない話である。(2007年2月8日) 再び二等兵から歩む私はこれまでの過酷な境遇をただ己が生き延びたい一心で死にもの狂いで歩んできたせいか、キリスト教については相応に悟るところがあった。しかしいつまでもそれに安住するのもよくないと考え、仏教の世界へ再び目を向け、二等兵から歩んでみたいと思った。
念
のため申し添えると私の"キリスト"に対する態度はいささかも変わることはない。昔の白樺派等の文学者などに見られた、一時期キリスト教に関わるがその後
離れていった「卒業クリスチャン」(武田清子)とは違う。私は死ぬまでクリスチャンであり続けようと思うし、また、改革者としての仕事を人生の最期まで続
けるだろうと思う。
「高
校時代に曹洞宗系の学校で禅宗の教育を受けた。大学入学後縁あってクリスチャンになった」と人前で話したら、「(仏教や道元を)捨てたんですか?」と尋ね
られたこともある。しかし捨てたわけではない。離れたわけでもない。あくまで自分の今日の基礎を築いたのは高校時代に読み耽った道元禅師の説教集であると
考えている。同様に私はキリストから気持ちが離れたわけでは断じてない。キリストと日本国の将来のために、最期の血の一滴までも捧げますという祈りは今で
も行っている。(2007年1月28日) 耶蘇善財と仏教のなれそめ 私と仏教の最初の接点は何時何所でかという話である。自分は今は耶蘇だが元々は禅宗、特に曹洞宗の教育を受けている。曹洞宗系の高校の出身である。道元禅
師の語録である『正法眼蔵随聞記』を読みながら、いつも道元禅師の説法を聴いている雲水の姿をイメージしていた」というのが実態に近いかと思う。ただ、こ
の禅寺仕込みの精神、なかなか役に立ってくれている。 キリスト教というのは、世間の軟弱なイメージ(「弱者のルサンチマン」(ニーチェ)、「弱 者の世界内での世界の断念」(ヤスパース)とは正反対で、本当は「男の中の男」というぐらいの鉄の意思がないと、その奥義を極めることは到底叶わない。実 際モーセはヨシュアに、ダビデはソロモンに、「あなたは強く、男らしくなければならない」と伝えているのである。だがしかし一見" 鋼鉄の意思"によるもののように見えるものも、実は祈りの成果だったりもする。亡くなった最初の恩師も、弟子である私からは鉄の意志の男に見えていたが、 実は、[宗教]哲学者でありながら祈りの人でもあった。「一日三回くらいは祈ってる」という話だった(おそらく学校へ出講しない日であろうが)。 また祈りなくして私が酒タバコを断つことは決してできなかったであろうと断言できる、「嗚呼、俺の人生にはもう酒は要らんのだ」と思えるようになったのだから人間変われば変わるものである。(2007年1月25日) 耶蘇善財と華厳経の馴れ初め 私が華厳経に興味を持ったのは2000年であるが、なぜか概説書一冊読まずに放置していた。ところが漸く機が熟したのであろうか、2006年秋になって急に狂ったように調べ始め、本も何冊も発注し始めた。そしてとうとう2006年1月リプリントの華厳経口語全訳(た
だし旧字体。また仏教学者から訳の正確さについて疑問が呈されている事実もある)の45,875円という大部の書を買ってしまった。
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